前回の投稿で、
私が藍を好きになった理由は、
ある冬の朝にあると書きました。
それは、インドの田舎の村で見た景色です。

観光客の姿もない、小さな村。
冬の大地は乾き、
草木は枯れ、辺り一面が土の色に包まれていました。
一日の喧騒が始まる前。
朝靄の中から、ゆっくりと朝日が昇るころでした。
遠くから、赤いサリーをまとった女性たちが歩いてきました。
頭の上に籠を乗せ、
地平線の上を、まっすぐに歩いていました。
朝日の前で輪郭がぼやけ、
大地の中へ溶けていくような姿。
私は、目が離せなくなりました。
誰かに見せるためでもない。
自分を飾るためでもない。
大地から生まれた色を身にまとい、
今日を生きるために、ただ歩いている。
そこには、余分なものが何もありませんでした。
大地から人へ。
人から布へ。
そして、布をまとった人が、
再び大地の上を歩いていく。
その姿はまるで、
大きな地球と一本の線で描かれているようでした。
なんて美しいのだろう。
なんて健やかで、おおらかで、魅力的なのだろう。
そう思うのと同時に、
私の中には、強い嫉妬のような感情が湧き上がりました。
羨ましかったのです。
自分がどこから来て、
何とつながり、
どこへ向かっているのか。
それを頭で考えるのではなく、
身体そのもので生きているように見えました。
「美しい景色に感動した。」
その言葉だけでは、足りません。
喜びと憧れ。
羨ましさと嫉妬。
圧倒的な美しさを前にした、悔しさ。
いくつもの感情が入り混じり、
心の奥を大きく揺さぶられました。
乾いた土の色。
朝靄の中に滲む光。
賑やかなインドの空気が、
ほんのひととき静まり返る時間。
肌に触れる、少しひんやりとした風。
赤い布をまとい、
大地の上を歩いていく女性たち。
あのとき、心の底から思いました。
「地球と共に生きたい。」
地球を自分のために利用するのではなく、
大きな地球の一部となって生きてみたい。
あの朝がなければ、
私は藍染めをしていなかったかもしれません。
藍染めを、ただ見るものとして。
あるいは、
「守らなくてはいけない伝統工芸」として、
遠くから眺めて終わっていたと思います。
けれど私は、
あの景色の中で見た一本の線を、
正解ではなくてもいいから、
自分の手で少しずつつないでみたくなりました。
「私も、あんなふうに生きたい。」
心と魂の底から焦がれた気持ちは、
十数年たった今も、
私の進む道を静かに照らしてくれています。

次回につづく。(2/5)
