― 92歳のおばあちゃんの手が覚えていたこと
今日、愛知県幸田町へ、歴史のお話を聞きに行ってきました。
講演の詳しい内容についてはここでは書けませんが、
何百年前の話を聞きながら笑いと妄想が止まりません^^

聞きながらずっと考えていたことがあります。
歴史って、なんだろう。
「何年に誰が何をした」
「誰が将軍になった」
という大きな歴史になると、「知識」に感じてしまうことがあります。
今日のお話は、もっと人の暮らしに近いところにありました。
昔の人が残した日記や落書きから、その人がどんな暮らしをしていたのかを想像していく。
この人は、ここを歩いたのかな。
こんなものを食べたのかな。
もしかしたら、その子孫は今もこの辺りで暮らしているのかもしれない。
そう考えた瞬間、何百年も前の話だったものが、急に近くなりました。
なんというか、
ロマンがある。笑(妄想?)
本当にそうだったのかは、わからないこともある。
「もしかしたら、こうだったのかもしれない。」
と想像することが、私はロマンだと思っているのかもしれません。
そして話を聞きながら、
ああ、私が麻のことを知りたいのも、きっと同じなんだ。
と思いました。
「珍しいもの持っとるなぁ。よこせ。」
夫のおばあちゃんは、今年92歳になります。
数年前、おばあちゃんの家へ遊びに行ったとき、私は精麻を持っていました。
それを見たおばあちゃんが、
「珍しいもの持っとるなぁ。よこせ。」
と言いました。
渡してみると、何の説明もなく、手で撚り始めたんです。
私はびっくりしました。
私にとって精麻を撚ることは、教えてもらって、何度もやって覚えたこと。
でも、おばあちゃんの手は知っていた。

「若い頃は手に脂があったから、もっと撚れたけど、今はカサカサだからなぁ。」
そんなことを言いながら、ごく自然に手を動かしていました。
私は知識として、昔の日本では各地で麻が育てられ、暮らしの中で使われていたことを知っていました。
でも、そのとき初めて、
「あ、本当にここにも麻があったんだ。」
と思ったんです。
本に書いてある一文と、目の前にいる92歳のおばあちゃんの手。
同じことを教えてくれているはずなのに、私の中に入ってくるものは全然違いました。
同じ麻でも、やり方が違う。
私は栃木の麻農家さんのお手伝いをしているので、そこで行われている麻の加工を見ています。
だから、おばあちゃんにも昔のことを聞いてみました。
すると、私が栃木で見ている方法とは違いました。
おばあちゃんが子どもの頃、この辺りでは、畑から採った麻を生のうちに剥いでいたそうです。
「乾いたら剥けんで、そのまま剥ぐんだ。」
そして、剥いだものは紐などに使っていた。
畑の端には一畝、麻が植えていたことも教えてくれました。
尾張、三河は、産地として大きく名前が残っていなくても、
育てて、剥いで、撚って、使う。
そんな暮らしが、ここにもあった。

同じ麻なのに、土地が変われば、採り方も加工の仕方も違う。
呼び方だって違うかもしれない。
それが、とてもおもしろいんです。
「これが悪いものだとは知らなかった。」
近所に住む80代のおばあちゃん(うちのおばあちゃんのお友達)とも、麻の話をしたことがあります。
私が庭でオガラを拭いていると、徐々に近づいてきてじーっと見ていました。

「それ、どうしたの?」と一言。
話を聞くと、その方も子どもの頃には麻が身近にあったそうです。
お盆にオガラを使うことも知っている。
神社さんや神棚に使うことも知っている。
それなのに、話の途中で、
「これが悪いものだとは知らなかった。」
と、ぽつりと言いました。
子どもの頃には普通にあったものが、時代が変わる中で、いつの間にかその人の中でも違うものになっていた。
それでも実物を見ると、
「懐かしい。」
「麻3枚くれる?」
と手が伸びる。触りたくなる。使いたくなる。
その姿と、
「悪い」の両極な感情と表情に
心がギュッとして何も言えませんでした。
法律や制度、時代によって、ものの見方は変わっていきます。
その人の思い出や手には、昔の暮らしの記憶が残っている。
私は、そういうものに惹かれるのかもしれません。
資料には残っていなくても、
「昔、この辺ではこうやって作ってたよ。」
そんな誰かの記憶の中に、まだ知らない麻の姿が残っている。
今日、昔の人が残した日記のお話を聞きながら、ふと思いました。
何百年も前の人にとって、それはきっと、なんでもない日常だったはず。
でも今の私たちは、それを読んで、
「こんな暮らしをしていたんだ。」
と豊かに想像しています。
そう考えると、今日も、いつか誰かにとっての「昔」になるんですよね。

私が麻農家さんのところへ行ったことも、
92歳のおばあちゃんから昔の麻の話を聞いたことも。
何百年後の誰かが知ったら、
「2026年には、こんなふうに麻に触れていた人がいたんだ。」
と思うのかもしれない。
「今生きてること」が
研究資料の大切な1ページになるかもしれないと考えると、ちょっと特別な気持ちになりました。
麻と人が、どんなふうに暮らしてきたのかを知りたい。
もし皆さんのおじいちゃん、おばあちゃん、ご近所の方から、
「昔、麻を育てていたよ。」
「こんな呼び方をしていたよ。」
「こうやって使っていたよ。」
そんなお話を聞いたことがあったら、ぜひ教えてください。

愛知だけでなく、どこの地域でも。
お話を聞かせていただけたら、とても嬉しいです。
まだ知らないから、おもしろい。
昔の人の暮らしをちょっと覗きながら、
これからも妄想を膨らませたいと思います^^
三河麻工房 加藤晶絵
